イエスたち一行は、エルサレムに着き、神殿に入った。そして、すべてを見回った夕方、ベタニアという土地に出て行った。ベタニアはエルサレムの南東にある近くの村で、マリアとマルタ、ラザロの3兄弟が住んでいた場所だ。だから、イエスたちはこの3兄弟の家に宿泊していたのではないかと考えられている。
ある朝、イエスと弟子たちがベタニア村を出発してエルサレムに向かってゆくと、イエスはおなかがすいた。
すると、道端にいちじくの木があるのを見た。イスラエルなど中東にはいちじくがとても多くて、今でも「天国からきた果物」と呼ばれるほど愛されている果物。
ところがイエスがいちじくに近づいてみると、葉っぱばかりで実がなかった。すると。
『そこで、イエスはその木にむかって、「今から後(のち)いつまでも、おまえの実を食べる者がないように」と言われた。弟子(でし)たちはこれを聞いていた。』マルコによる福音書11:14
次の日にイエス様たちがまたこの道を通ると、いちじくは枯れていた。イエスが言った通り、この木から誰も実を食べることはなかったのだ。そこで。
『そこで、ペテロは思い出してイエスに言った、「先生、ごらんなさい。あなたがのろわれたいちじくが、枯れています」。』マルコによる福音書11:21
それにしても,どうしてイエスはこの木を枯らしたのだうか。
「ちょ!待っイエス様!」って思うよね。
イエスが、お腹すいてるのにいちじくの木に実がないからって、木を呪った。それでその木は枯れてしまった。
イエス、キレすぎでは?
いちじくそんな悪いことした?
しかも聖書は、「いちじくの季節ではなかった」と言っています。もちろん、軽薄な理由でイエスがこのような行動を取ったわけではありません。そのために理解すべきことは、イスラエルにおいていちじくがどのように実を結ぶかということだ。
イスラエルは地中海気候で、4月から10月までの乾季と、その残りの期間の雨季に分かれる。6か月の雨季の冬の間、葉のない枯れ枝のまま冬を過ごしたいちじくの木は、過越(すぎこし)が近づくにつれ、わずかな葉とともに最初の実をつけ、その後長い夏の間に、5回にわたって実をつけます。じつは、初なりのいちじくを指すヘブル語と、夏の間に実るいちじくを指すヘブル語は、別の言葉なのです。初なりのいちじくは「パーグ」、そのあとのいちじくは「テエナ」だ。
つまり、これはヘブル語に忠実に解釈すると、イエスさまが探されたのは「パーグ」、すなわち「初なりのいちじく」であり、「テエナ」の季節ではなかった、ということです。
イエスの意図
この話が何を教えようとしているのか、とても難しい。
イエスがキレていちじくを呪ったのでは?思ってしまうけれど、きっとそうではない、これはどういうできごとなんだろう。
実はこれは、イエス様が十字架で死ぬ数日前のできごとである。この週は
日曜日、イエス様がロバの子に乗ってエルサレムに入場。
木曜日、イエス様がゲツセマネでつかまって裁判。
金曜日、イエス様が十字架で殺される。
というできごとがあった。イチジクの木のできごとは、月曜日から木曜日の朝におきたできごとだ。
イエスを殺そうとしてる人たちが「祭りの間はやめておこう」と言っていたのに、イエスのほうが十字架にかかるために進んでいっていた。
だからイエスは、弟子たちと一緒にいて教えることができる時間はもうほとんど残っていないことを知っていたのだ。
そう考えてこのできごとを読んでみると、イエス様がどういう意図だったのかを考えるのは、そんなに難しくないことかもしれない。それは
「準備できてる?」
ということだと思う。
準備できてる?
イチジクの木は、イエスから求められたときに、準備ができていなかった。
私たちは、イエスのために準備できてる?
イエスが命じた言葉で、わたくしたちがやらなくていいことなんて一つもない。
イエスは「私が次に来るときは、泥棒がこっそりやってくるように、いきなりだからね」と予告している。
その時、イエスが君のところに「実は実ってるかな?それとも、葉っぱしかないのかな?」「わたしを満足させる?それとも、がっかりさせる?」って来ても、大丈夫かな?
イエス様が次にくるのは、この世界が終わって新しい天地が始まるときだ。延長戦はない。というかもう延長戦に入っている。
『ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行を遅くしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく。すべての者が悔改め(くいあらため)に至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。』ペテロの第二の手紙3:9
だからといってビクビクする必要はない
少しおどすような言い方になった気もするのだが、神様は、ぼくたちができないことをやれとは言わないので、心配しなくていいのだ。
できないことを無理してやる必要はない。
でも、神様が君にまかせたいこと、やってほしいこと、こういうふうでいてほしいということがある。それは「がんばらないとできないこと」だけど、でも「がんばればできること」なんだ。
えらそうなことを言ってるけど、わたくしだってできてないからね。わたくしだって準備はできてない。だから今回の話は、わたくし自身にとっても重要なことだ。
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